1. Be so strong that nothing can disturb your peace of mind.
強くありなさい。あなたの心の平穏を、誰も乱すことができないほどに。

グレイシー柔術を始めて学んだのは1995年2月。
その頃はまだ未知の格闘技だったグレイシー柔術。
今では誰でも知っているガードポジションは未知のテクニックだった。

それまでの日本の総合格闘技にはグランドポジションでの打撃という概念もテクニックも存在せず、馬乗りになられて、上から叩きつけられるその攻撃打撃のディフェンスのやり方が分からなかった。

 カーリーグレイシーの元には単なる生徒として行った訳ではない。当時未知のジャンルだったグランドでも打撃を駆使するスタイル。
新しいスタイルの総合格闘技のプロの試合に出場して勝利する為だった。

当時は総合格闘技の黎明期。まだ体重性がなく試合は無差別で行われた時代。

体重80キロの僕にとって未知のグランドで下になって遥かに大きな相手から上から叩き下ろすような打撃は恐怖でしかなかった。

初めてのレッスンはスパーリングから始まった。
スパーリングが終わるとカーリーが言った。

「なかなか良いよ、良いフィジカルだ。」
「でもテクニックは無いね。」
「これからすぐにやろう。」
「帰るまでに教える。」
「全部教える。」

カーリーグレイシーはそう言った。
僕はまだ半信半疑だった。

初めて教わったテクニックはガードポジションで相手が上から殴ってきた時のディフェンス。
初めて教わったテクニックは正に目から鱗だった。
何も難しいことはないのだ。知らなかっただけだった。

当時のグレイシー柔術は圧倒的な強さを誇った。
その理由が分かった。正しい法則があるのだ。
人間の心理に合わせた巧妙な攻防の仕組みをグレイシー柔術は持っている。

自分が相手の上にいれば安心する。

そこにつけ入るスキが生まれる。上にいる相手が何をするのか?人間の動きは案外限定される。
特に余裕があって自信満々な時には行動は決まって来る。

余裕がある程深く考えないで行動するのは人の弱さなのだろうか?

初日のレッスンで数種類のガードポジションを教わった。
同じ上から殴るでも殴る位置と高さが変われば態勢が変わる。
押さえつけて殴るのと立った状態から殴るのでは別のディフェンスが必要になる。

数種類のディフェンスを覚えた分だけ恐怖心が薄まった。
それまで全く知らなかった時とは段違いに心の状態が変わった。

まだ完全ではない。
それでも急速に恐怖心が薄れていくのを感じた。

レッスンは一日2回。今日はもう一度別のテクニックを教わることが出来る。

教わっただけ恐怖が自信に変わっていったのを今でもよく覚えている。
初めてのグレイシー柔術のレッスンで恐怖の克服の仕方を学んだのかもしれない。
カーリーはこんな話を聞かせてくれた。

「一番の恐怖心は何も知らないことだ。」
「暗闇に何がいるのか分からない。」
「その時の恐怖心は自分で抑えるのは難しい。」

「グレイシー柔術は暗闇の相手を見ることが出来る。」
「暗闇に灯りをつけることも出来る」

「相手には暗闇にそのままいると勘違いさせたままで」

恐怖心を抑える、その為に必要なことは全てのポジションで
相手が行うことを予測し正確な答えを素早く引き出すこと。

何が起きるのかを知らないままが一番怖く、成功に遠い状態。
起きることを予測出来れば成功に近くなる。

起きることを操作出来れば、それに合わせて動くだけで成功する。
これは人間関係やビジネスにも応用が利く。

体を使って柔術を楽しみながら日常に必要なスキルを疑似体験しながら学ぶ。

グレイシー柔術を創始したのはカーリーの父親であるカーロスグレイシー。
ブラジルで貧窮した日本から渡った柔術家 
コンデコマこと前田光世を救ったのがカーロスの父親ガスタオングレイシー。

ガスタオンは政財界に太いパイプを持つ大物実業家だったという。
ガスタオンに恩義を感じた前田光世はその恩義に報いる物を持っていなかった。
だから自分にとって一番大切な柔術をカーロスに教えた。
これがグレイシー柔術の始まり。

偉大な実業家の父を持つカーロスグレイシーは
前田光世から学んだ柔術に感銘を受け生涯を柔術と共に暮らす道を選んだ。

ガスタオンはそれを認め、カーロスはリオの郊外に24部屋もある大きな家を建てた。
そこでカーロスをリーダーとして一族が集まって柔術を学び広めていった。
そこにカーリーと一緒に行ったことがある。

カーロスグレイシーの12の言葉には
ガスタオングレイシーからの教えもきっと含まれているに違いがない。

単なる根性だけで恐れを消すことは実は難しい。
実際に闘いという場に限定してみるとグレイシー柔術にはそのテクニックが確実に存在している。

闘いの場を使って身につけたものを暴力に進むのではなく。社会での暮らしに役立てる。
社会には心の平穏を乱すような出来事や出来事が沢山ある。多分アカデミーの何倍も。