柔術で充実是日々好好【令和元年8月全言葉】
平直行の1年間毎日一言チャレンジ
~日本医術の口伝~
1日
”日本は太古の昔より大陸文明の影響を受けて発展してきた。”
2日
”古代社会が形成されると経験と工夫を重ねて職業とする人が現れてくる。”
3日
”鹿島神宮祭はこうした祭とされる。”
4日
” 古代社会において大陸から進んだ医術が導入された。 ”
5日
” 百済や高句麗より進んだ技術を持った人々が日本に移住し更に技術を伝えた。 ”
6日
” 帰化した2世3世が大陸の医術及び技術の導入の担い手となり活躍した。 ”
7日
” 遣随使は前後3回に渡り行われ膨大な書物を持ち帰った。 ”
8日
” やがて輸入文化は独自の発展を遂げ日本文化として独自の発展を遂げた。 ”
9日
” 平安時代の末期に、大陸の文化技術を昇華させた日本独自の始まりがある。 ”
10日
” 平安時代の医療は貴族社会の為のものであり、一般には程遠い存在だった。 ”
11日
” 鎌倉時代になると武士階級や僧侶によって独自の医術が生まれた。 ”
12日
”鎌倉時代に医術は一般に向けて施されることが始まった。”
13日
”室町時代には武術も一族の秘伝から道場が生まれ一般に伝えるようになった。”
14日
”一族の秘伝を隠しながら技を伝える独自の習得システムもこの時代より始まった。”
15日
”江戸時代は270年間内戦がなかった世界史上稀に見る時代である。”
16日
”この時代に日本武術は独自の進化を更に遂げた。”
17日
”江戸時代柔術を修行する者達は長崎を訪れ外来の新しい技法を身につけた。”
18日
”長崎には吉原元棟がいた。”
19日
”元棟の武技を応用した整骨術は非常に巧みであった。”
20日
”長崎の外科医で通詩でもあった吉雄耕牛は蘭学を学びに全国から集る弟子達に接骨術の良さを説き元棟の元に派遣し学ばせた。”
21日
”やがて元棟の接骨術の技法は蘭学者はもとより武術家に広く伝わり我が国の中心的な主流技術となった。”
22日
”華岡青州は元棟の活法術と整骨術を受け継ぎ華岡流整骨術として伝える。”
23日
”吉雄耕牛の門人2人は正骨範を完成させた。”
24日
”長崎には中国人が多く滞在していたので武術家たちが中国拳法を学んだ記録がある。”
25日
”我が国の整骨術は大きく分けると長崎の整骨集団と揚心流の柔術系統の分派集団がある。
26日
”2つ以外には、大阪の難波を中心とする浪速の接骨集団がある。”
27日
”加藤清正が朝鮮に従軍した際に朝鮮人を捕縛したら、その者が非常に巧みな整骨術を持っており家臣に学ばせた。”
28日
”朝鮮人から学んだ整骨を家業として始めたものが浪速の接骨集団の始まりとなる。”
29日
”江戸においては武備心流川寸木翁から整骨術を学んだ名倉弥次兵衛が名倉堂名前を持って整骨術を広めた。”
30日
”天神揚心流の道場は副業として接骨を開業していた。”
31日
”明治の伝承医学の廃止に伴い暗黒の時代となり今まさに失伝の危機にある。”