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中3なのに中2病のまま、どちらかと言えば完全に悪化した状態の僕は、スターレスラーになった自分を想像します。もはや妄想で暴走状態にまでなって、いつもそんな事を考えていました。憧れが夢に変わったら今度は行動です。
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プロレスラーになる為には、一体どうしたらいいのか?
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仙台に住む中学2年生には全く分かりません。それである日ふと思いついた訳です。プロレスラーになる為にプロレスを教えてくれる場所は仙台にはない。当時の猪木さんの宿敵ウィリーは極真空手をやっている。熊殺しは怖いから寸止めの空手をまずはやろうと。
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憧れて夢に向かった中学2年生の決意は案外こんなもんです。憧れのプロレスそこで一番強い猪木さんの宿敵。宿敵は熊を殺す。そんなものをいきなりやったら危ない。
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藤波さんの試合を見て感動したのは強さではなく華麗な動きだったのかもしれません。振り返るとそう感じます。
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僕はプロレスラーに憧れて行動を始めた時に強さではなく
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その為の体を作る為のトレーニングを無意識に探して実践を重ねてきたのかもしれません。
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この経験がのちに武術を学び、身体論の世界に進んだ時に役に立つのです。
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中3になった僕は夏休みに空手を始めることになります。振り返るとよく両親が許したなとも思えます。何かの導きがあって、両親の元に産まれるという話を聞いたことがあります。僕にとって一番良い両親の元に産まれたんだと思います。
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入会する少し前のことです、空手を始めるなら開脚が出来た方が良いな。
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何故かそんな事を思いました。空手と言えば開脚が僕にとっての格好良い動きでした。
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当時は開脚をするとおでこが床に何となく着くその位でした。
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不思議な感覚が僕に何かを教えてくれるような感じで僕は開脚を始めました。
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おでこが頑張ると着くくらいの柔らかさはそのままです。
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その時にふと思いついたのです。このまま頑張ってはいけないぞと。
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何となくそのままお茶の間のテレビをつけてみました。
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テレビを見ながらノンビリと開脚をする方が何故か良いような予感がしたのです。
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ここから先はきついな、そんな位置から普通は頑張って伸ばします。
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何故だかその方が良い感じがしたのです。そのまま楽な体勢でテレビを見ます。
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体は動かないまま筋肉の状態だけが動いて変化していきます。
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これは30年後に学んだ太氣拳の立禅の初期に起こった動きと同じでした。
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筋肉の不思議な動きが収まる少し前に少しだけ開脚を開くようにしてみます。
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開脚の反対はお腹を下にして背筋のように体を反らします。
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腕を着いてこれも無理しないように、苦しくなる少し手前で止めておきます。
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反対の動きも2回か3回やってまた開脚ををするとまた開脚が柔らかくなっていました。
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今度は立ち上がって前屈や後屈そして体を捻じったりと
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色々な方向の動きを組み合わせてやって、開脚をその間に入れました。
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テレビを見ながらノンビリとです。20分くらいやってその日は終りました。
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開脚をやって3日目にそれまでおでこがやっと着く僕の開脚はおへその下が床に簡単に着くくらいまで柔らかくなっていました。
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始まりは誰にも教わることなく自分で考えて、考えるというよりも閃きに任せて。体全体を無駄なく全部動かす。これがとても大切な10代のトレーニングでした。
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あれから40年以上が経って今は体全体をくまなく全て動かすことは変わりませんが、出来るだけ繋げて動かす、繋がらない場所を動かして更に繋がりを大きくするに変わってきました。
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運動は体全体で行い、休息も体全部で休むのが一番良いのです。
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施術も同じです、体の繋がりが切れている場所に問題が潜み、繋げていくと問題点が見えてきて、改善の道筋が見えてきます。一番初めにやった事に、教わった事に奥義が隠れている。これは武術の口伝でもあります。
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40数年前のあの日から僕は色々な出会いとご縁経験を積んでサムライメソッドやわらぎを作りました。その過程の出来事をこれから書いていこうと思います。お付き合い頂ければ幸いです。
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