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食事が体を命を創る
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幼い頃に暮らしていた家は海の匂いがたまにして、日本の暮らしの原風景のような場所だった。家のそばにある、畑と川の横には無花果(いちじく)の樹が植えてあって、それは誰が食べても良いことになっていた。柿もなっていた。幼い頃だから記憶は曖昧だが何本か無花果の樹があったような気がする。沢山あるから熟した果実が食べきれない。熟す前の果実を採って砂糖で煮る。そのおやつも食べ放題で、近所の子供たちみんなで食べていた思い出がある。今では食べることが出来ない熟してない無花果の砂糖煮はとても美味しかった思い出だったりする。
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近所に商店がないから、どうやって暮らしていたかというと、行商が車や自転車でやってくる。おやつで記憶に残っているは団子売りが自転車でやって来て、それを買って子供たちみんなで食べた記憶。それと洗面器いっぱいの茹でた蝦蛄海老(しゃこえび)今ではとても高価になってしまったけど、当時は雑魚の仲間で凄く安かったんだろう。
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外に出て誰かのお母さんが茹でて、みんなで手掴みで食べたのをうっすら覚えている。
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食事は基本魚や野菜。肉はあまり食べた記憶がない。海に近いから魚の行商がよく来たのかもしれないし、大家さんの家から続く借家の一番端っこが魚を加工するような工場だっからそこで買っていたのか?遠い日の記憶は曖昧、そして綺麗で美しい。
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あの頃の写真を見た、子供達はあまり綺麗な格好していない。そしてどんなに着飾った大人たちよりも命が輝くような笑顔をしていた。近所には男の子が2人いて、女の子は2人それに僕を入れて5人の子供。これが幼稚園に入るまでの僕の世界の子供の人口だった。
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みんなで冒険に行った記憶がある。一番奥の魚の加工場の奥には何にもない空間が広がっていた。草原のような感じで草が生えていて樹も所々に生えていて、他には何もない。みんなでそこをどんどん進んで冒険をした。
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暫く行くと馬がいた。誰かが飼っている馬がいた。まるでおとぎ話のような世界に幼い頃の僕は暮らしていた。
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江戸の末期から明治の初期にかけて日本に外国人がやって来るようになった。当時の記録は今も残っている。日本に来た外国人は一様に日本人の暮らしに驚き、憧れた。
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里山には田んぼと畑が広がり綺麗に整備されている。決して自然を壊すことなく綺麗に調和した空間が日本の田畑。田畑の隙間には果物の樹が植えられていて、残った隙間に綺麗な花が咲き誇る。集落の向こう側には山があり、綺麗な川も流れている。人が必要な全てがそこにあり。決して自然を損なうことなく、綺麗に整備された集落を見て外国人はこう言ったという記録が残っている。
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これが昔の日本なのだろう。大自然は征服する物ではなく、大切にするもの。暮らしは総てに共通し影響を与える。その時代の武術も同じ影響を受けていたと考えると合点が行くことがいくつも出てくる。
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自然との調和と共生こそが江戸時代までの日本人の思想なのだろう。日本には里山があり、自然と共生して大切に恵みを享受して暮らしてきた。山の麓には鎮守の守があり、決して踏み入れてはいけない場所を守ってきた。
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これが武術の時代、の日本人の暮らしであり道徳観になっている。武術の稽古や鍛練、そして技も根底に同じ思想が流れていると考えると合点がいき、命が吹き込まれるように感じるのは棒だけではないような気がする。
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江戸時代は今では想像もつかないような暮らしと思想道徳観で日常を過ごしていた。幼稚園に入るまで暮らした町(集落)で僕はそれに近い日常を過ごしてきた。素晴らしい環境が僕を育ててくれた。
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